偶像なんだと思う。或いはタイトルが示す通りに幻想か。
ゼロの弱さ、だらしなさこそが人間であり、だからトウジはゼロをずっと傍に置くし、最後がああなったのも、偶像のトウジがシステムとなっていくことにより、ゼロの居場所がなくなってしまったからなのだと思う。ゼロを排除することにより、鈴原冬二というシステムが完成したとも言える。
そうか、トウジが幻想(システム)なら、ゼロは愛(人間)だったんだ。だから愛と幻想のファシズムなんだ。そうか、そういうことか。腑に落ちた。村上龍、すげぇよ。