2017-05-22-Mon Dream Fighter
_ [レース] レースなんて
観るもんであってやるもんじゃない。そう思っていた自分。
その自分が、初めて観た"Taste of Freelance"に衝撃を受け、"D.O.B.A.R. MONSTER"に憧れて筑波をCB750Fで走り始めたのが、1994年、23歳の時。
初参戦は1995年、CB750F改823㏄でZERO-1。当然、箸にも棒にも掛からぬ成績だった。
次の挑戦は1997年。同じくCB750FでZERO-1。しかしその時も、どうにもならないような結果しか出せなかった。
自分の素人さ度合いを見つめ直し、修行のために、GP80で筑波選手権を走った1999年から2000年。筑波をベースに、茂木、菅生も走ったGP125の2001年から2007年。選手権時代はもちろん国際ライセンスと全日本を目指して走っていたものの、最終目的は"D.O.B.A.R.でカッコ良く走ること"だった。
公私共に多忙を極めてレースをお休みした2008年。選手権はもういいかな?と思い始めて、いよいよ本格的に、"D.O.B.A.R."への参戦を考え始めたのが、その年の末。憧れた"Taste of Freelance"は"Taste of Tsukuba"に名前を変えていた。
満を持して、2009年春に、Taste of TsukubaのD.O.B.A.R MONSTERに初参戦。ライディングには多少は自信が出来ていたものの、いざ走り出すと、まったく思うように走れない。ガラガラと崩れ落ちる自信。しかもレースの4日前の練習で転倒、マシンは炎上。
連日の徹夜で修復し、なんとか出場に漕ぎ着けたレースは、苦い思い出にしかならなかった。
それからも挑戦は続くが、思うように走れない年月が続く。エンジンを弄っては壊し、無理して走っては転倒し。それでも続けたのは、あの頃に見た、モンスターマシンたちへの憧れ。そして意地。
好転の兆しが見えたのが、昨年の春。試行錯誤を続けてきた車体とサスセッティングに、いくつかのヒントを見つけたことだった。
しかし、そこで起こった熊本地震。それを乗り越えて参戦した2016年5月のTaste of Tsukubaだったが、電装系のトラブルにより、またしてもマトモに走ることは出来なかった。
それから一年。組み直したエンジンとサスセッティングを徹底的に煮詰め、筑波から遠く離れたHSR九州で走行を繰り返し、少しの自信と共に挑戦した、今回のTaste of Tsukuba。
ようやく、ようやく、人から「カッコ良かったよ!」と言われる走りをすることが出来た。感無量としか言えなかった。初参戦から22年。45歳になっていた。
頑張ってもなかなか報われないのが世の常だが、それでも叶う夢はある。だからレースは辞められない。
更なる高みを目指し、これからも走ります。