2020-01-24-Fri 不寛容な日本人
_ [無] 近年、
日本人が他人に対して不寛容になっているように思える。
生活保護の受給(働いていないのにお金をもらうなんてずるい)とか、電車内へのベビーカーの乗り入れ(子供がいるからって優遇されると思うな)とか、れいわ新選組の二人をきっかけに国会がバリアフリー化の工事を進めたことに対するバッシング(議員は金があるんだから自分でなんとかしろ)とか、あるいは有名人の不倫に対する異常なまでのバッシング(あなたには関係がないのに)とか、そうそう、剛力彩芽が悪いことをしたわけでもないのに前澤氏との交際を異様に叩かれたこともあった。挙げればキリがないと思う。夫婦別姓を許さないとかもそうかな。別姓を認めてもあなたに影響はないのにね。
でもこれは、元来日本人が持っていた特性なのかもしれない。
福沢諭吉は「学問ノススメ」の中でこんなことを言っている。
「怨望の人間交際に害あることかくのごとし。今その原因を尋ぬるに、ただ窮の一事にあり。ただしその窮とは困窮、貧窮等の窮にあらず、人の言路を塞ぎ、人の業作を妨ぐる等のごとく、人類天然の働きを窮せしむることなり。貧窮、困窮をもって怨望の源とせば、天下の貧民は悉皆不平を訴え、富貴はあたかも怨みの府にして、人間の交際は一日も保つべからざるはずなれども、事実においてけっして然らず、いかに貧賤なる者にても、その貧にして賤しき所以の原因を知り、その原因の己が身より生じたることを了解すれば、けっしてみだりに他人を怨望するものにあらず。その証拠はことさらに掲示するに及ばず、今日世界中に貧富・貴賤の差ありて、よく人間の交際を保つを見て、明らかにこれを知るべし。ゆえにいわく、富貴は怨みの府にあらず、貧賤は不平の源にあらざるなり。」
これを読むと、福沢諭吉の頃から(もっと前から?)「(自分を顧みることなく)他人の利が許せない」という日本人のメンタリティが存在することがわかる。もともと同調圧力が強く、横並びを是とする国民性。戦中の隣組も、そのような日本人のメンタリティをうまく利用したシステムだったと思う。満員電車に大人しく整列乗車する国民性は、実は同調圧力に徹底的に弱いからじゃないか、とも思える。
他人に対する不寛容は、「自分と他人を比較して生まれるその差」から発生しているのではないか。極めて単純に言えば、「自分は持っていないのにあの人は持っている、ずるい」である。そこに他人の状況などの推察は一切なく、結果だけをみて「怨望」するのではないか。
近年特にそれが激しくなってきたのは、やはり生活が苦しいからだろう。学校では皆が同じように振る舞うことを教えられる。そのせいもあってか、平等意識だけは広まっている。しかし自分が苦しいのにあの人は自分が持っていないものを持っている、平等なはずなのにあの人はずるい、となるのである。話は少し逸れるが、高速道路で走行車線が空いているにもかかわらず追い越し車線を(しかもゆっくりと)走り続ける人のメンタリティも、同じものがあるように思える。自分を追い抜いていくなんてずるい、ならば(スピードを出したいわけではないけど)同じように追い越し車線を走らないと損だ。こう思えるのではないか。
自分に余裕がなければないほど、相手の利が怨望され、叩くことを正当化してしまう。それが加速しているのではないか。経済力を背景に日本国民が肩で風を切って歩いていた頃ならば、話題にもならなかったようなことが、今では大きな事件になってしまうのである。
ならばどうするか。日本人のメンタリティを変えるか?いやいや、それは無理だろう。戦争で負けて一夜にして社会が変わっても、メンタリティは変わらなかったのだ。しかし、私たち日本人がそういう特性を持っているのだと知ることは、優しい社会を作る第一歩になるかもしれない。
しかし異なる断面で見れば、可能性はあるのかもしれない。国を超えた人的交流は加速していくので、強制的に違いを認めざるを得なくなるかもしれない。出来なければ日本国の未来はない。何故か。
結局のところ、国力は人口なんだと思う。活きの良い人口がどれだけいるか、それが国力を決めるのだ。高度経済成長期の日本はまさにそれだったのだ。今後はそれが見込めない以上、外からの人材流入に頼るしかない。つまり、自分と異なる理解できない人たちが大量に入ってくる可能性があるのだ。適応できなければ、社会の分断が起きる。適応せざるを得ないのである。(適応できずに分断されてしまう可能性も高いが)
なぜこんな文章を書いているのかと言えば、自分の中にある疑問を整理したかったからだ。実のところ自分は、他人にほとんど興味がない。故に人の名前を覚えるのも苦手だったりするんだが、それは余談(なのか?)。よって冒頭のような人々の感情が理解できなかったりするのだが、これを書くことによって、少なくとも自分としては、理論的に納得できたと思う。もちろん、それで問題が解決するわけではないのだけれど。